学生から社会人へと脱皮していく時期、「就職」というおおきなイベントを迎える時期
青年期後期
私は都内の専門学校の教師(担当科目は「論理的思考」)をしながら、「こころとキャリアの相談室」で学生たちの青年期の悩みをお聴きしていました。青年期後期の方とは接する機会がたくさんあるので、まるで身近な友達や家族のような気持になることがあります。
青年期後期というのは、だいたい18歳から24歳ぐらいまでの大学生、短大・専門学校生、あるいは有職青年の年代をいいます。
有職青年の方もふくめて、この時期は学生から社会人へと脱皮していく時期でもあり、就職活動が一大イベントとして登場します。
青年期後期の発達課題は、就職活動を成功させる条件そのものではありませんが、重なり合う部分がたくさんあります。社会人として船出をするこころの準備ができている学生の方が、企業にとっても社会にとっても好ましいのです。
青年期後期の発達課題
では、青年期後期から成人期前期へ移行するための発達課題はなんでしょうか。
一般的にいわれているのは次の二つです。
(1)「これが自分である」「自分はこういう特徴をもつ人間である(自己イメージ)」を持つこと、即ち、自己アイデンティティー(自我同一性)を獲得すること。
(2)一人の自立した人間として、近い将来に社会の一員となるために必要な基本的な能力( コミュニケーションスキル、主体性、チャレンジ精神、協調性、一般社会常識などのソーシャル・スキル)を身につけること。
しかし、わたしは敢えてもう一つ付け加えたいと思います。
(3)自分という人間は、家族や友達とのかかわり、あるいはさらに大きく社会や世界や自然とのかかわりの中で存在しているということを感じられるようになること。人間はそもそも社会的な存在です。自己中心性が過度に強まることは避けたいものです。
自己アイデンティティーの獲得
自己アイデンティティーとは「これが自分だ、自分はこんな特徴をもった人間なんだ」という感覚のことをさします。
自己アイデンティティーを獲得することによって、ひとは「自分は個性あるひとりの自立した人間なんだという自信や自覚」を得ることができます。
自分に自信がつけば、ひとの話を余裕をもって聞くことができるようになるでしょうし、また、自分の意見を自由に言うことができるようになるでしょう。自然に人間関係が広くなり、豊かになることでしょう。
もちろん、自己アイデンティティーを獲得するのはそんなに簡単なことではありません。
情報技術の進歩とグローバライゼーションにともない、欧米の個人主義の文化はもとより、アジア・中東・アフリカ諸国の多様で個性豊かな文化が日本に入って来るようになりました。日本人としての伝統的で集合的なアイデンティティーは都市化とバブル経済崩壊とともに後退し、ひとの考え方や感じ方、価値感や生き方は以前とは比べ物にならないほど多様化しました。
選択の範囲はますます広がり、わたしたちは自由に考え、自己責任で決定しなければならなくなりました。E. フロムが「自由からの逃走」で指摘したように、わたしたち人間は選択や決定が自分の自由になればなるほど、不安になったり、孤独や無力感に脅かされたりするのです。
とはいえ、それでも多くの人は、家庭での生活、学校での勉学、サークル活動や友人関係、地域活動のなかでいろいろな試行錯誤、失敗や成功の体験を積み重ねながら「なんとなくこれが自分だ」という感覚を少しずつ身につけていきます。他者の反応は自分自身を理解するための鏡の役割を果たします。 いかえれば、他者が存在するからこそ自分という存在を感じることができるのです。
しかし、他者との係わりが少なかったり、友人関係が育たなかったような場合には「これが私だ」という感覚をなかなか得られないかもしれません。
もしそうだとしても、あまり心配しないでください!
今わたしたちが生きている社会は、個性が尊重され様々な生き方が認められる多様性の社会であり、また洪水のように情報が溢れ、また急速に変化する不確実性と不安定性の社会です。
しかし、そのぶん社会がより画一的でより安定していた昔と比較すれば、自己アイデンティティの獲得がより難しく、より時間がかかるようになっていると考えることができます。
従って、自己アイデンティティを獲得する時期が遅れても決して不思議ではありませんし、また、一旦獲得されたとしても、それがそのままの形で確立に向かうとは必ずしも考えにくく、むしろアイデンティティは人とのかかわりの中で、また人生の局面局面で見直され変化していくものと考えたほうが自然なように思われます。
自分の羅針盤で、自分が選んだ道を、真っすぐに進みたい!
一言で言えば、それは英語のAutonomy(=independence or freedom、英英辞典による)です。
「わたしは独立している!わたしは自由だ!わたしはこれから飛び立つんだ!」という感覚です。
青年期後期のひとにとって、ひとりの独立した存在として自由に飛び立つことが出来るんだという感覚を発揮して、これからの人生の「夢」や「価値」や「目標」について真剣に考え、その実現に向けてチャレンジするということが、この時期にやっておかなければならないとてもたいせつことのひとつではないでしょうか。
もちろん、チャレンジしても、すべてのひとが首尾よく自分が選んだ道に進めるわけではないことは分かっています。
しかし、青年期後期にそうした意識をもってトライ(try)することが、青年の特権であり、青年が青年たる所以であり、その後の成人期以降の人生を豊かなものにする上でほんとうにたいせつだなことではないかと思います。
窓から見ると、空は窓枠に区切られて小さく見えることがあります。
しかし実際には、空はいつだって、何処だって、誰にだって広い!
可能性を信じてあなたらしい何かにチャレンジできる時期、そして、チャレンジしなければならない時期、それが青年期なのではないでしょうか。
ただし、私たち人間は他者や社会とのつながりの中で生きていることは、常に心の片隅に置いておいてくださいね。
以上